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2021.11.15 | スタッフブログ

階段のはなし

空間おいて階段は「上下階をつなぐ通路」に過ぎず、住居の隅に追いやられがちな目立たない存在だと言えなくもありません。しかし、スペースに限りのあることの多い日本の住宅において階段は、機能性はもちろん、デザイン性にも重要な役割を担う存在となりつつあります。そうであればこそ階段であっても、形成する素材にこだわり、デザインもユニークにすることで、皆様の暮らしをますます豊かにしてくれます。
面白いことに、階段は家の中で一番物が溢れず、同じ状態を保ちやすい場所であるからこそ、素材感が引き立つ場所になるのです。
それでは階段の歴史と、機能性とデザイン性を追求した階段についてご紹介します。

海外において階段は古くからシンボル的な役割を果たしてきました。古来、階段は有名な神話のモチーフにもなり、人格の完成に至るための象徴になることが多く、「より天に近い領域へ上昇すること」の象徴とされていました。古代エジプトでは、「階段=上昇」のシンボルとして敷居の高い存在を示し、エジプトの神オシリスは、「階段の頂上に君臨するもの」として崇められていました。初期のピラミッドが階段状の形をしていたのは、この認識に基づいたものだとされています。信心深かった古代エジプト人にとっては、階段や梯子は少しでも神の膝元に近づく行為に直結していると考えられていたのです。
古代ギリシャの人々は、神殿や公共建築には最大の力を注ぎ、その中でも階段状座席による半円形の大劇場や、円形闘技場などのスポーツ施設が有名です。一方で、住宅は一階建の簡素なものであったとされています。中世に入っても室内空間で階段が重要な役目を演ずる例は少なく、神殿などの建築や広場を除き、階段はルネサンス期までデザイン的にあまり重視されませんでした。

しかし16世紀以降、階段の空間演出上の効果が重視され、特に宮殿建築において、室内装飾の最も豪華な舞台となりました。内部空間を縦に貫通する手段として螺旋階段が関心を集め、その代表的な例が、レオナルド・ダ・ヴィンチが設計したと言われるシャンボール城の二重螺旋階段です。バロック期に入ると、階段の造形的魅力を最大限に発揮し、壮麗かつ豪華なバロック建築に華を添えるようになりました。近代に入ると、鉄・コンクリートなどの新素材の登場により、ル・コルビュジエが提唱した「近代建築の五原則」の「自由な平面」を体現するような、浮揚感を表現した階段が出現するようになります。

日本の階段は梯子から発展したと言われています。日本最古の階段は、弥生時代に建てられた登呂遺跡の校倉に付設された階段が代表的なものだとされています。
高床式建造物の正面に1本の丸太を削って作ったもので、高床の住居に人が登り降りしたり、穀物倉庫に荷物を運搬するには必要不可欠なものでした。この時代が日本建築の始まりであり、柱や梁、貫といった現代でも建築の中心となる構造が生まれました。また、これらの部材登場とともに、階段も「脇役」として存在を強めていった可能性があります。

日本に本格的な階段が普及したのは、大正時代の和洋混淆の「文化住宅」からとみなされています。日本はもともと平屋が多く、それまでの日本の住宅には本二階というものを作られることはあまりありませんでした。家の中に補助的に用いられた踏み台や箱階段のような家具的なものが中心でしたが、人口が急増した明治時代以降、都市集中とそれに基づく地価上昇に伴い重層住宅が普及し、階段も普及したと言われています。つまり、階段は日本の住まいの中では比較的新しい設備なのです。

世界的にも、日本国内でもその立ち位置を独自のモノとしてきた階段という存在は、現在の日本の住宅においては、もはや1階と2階をつなぐ通路ではなく、その存在感と重要性は高まってきています。
階段は人体と接触しながら昇降という基本機能を併せ持つ、とても重要な建築のエレメントです。日々昇降が繰り返される階段材や、毎日手に触れる手すりこそ質感にこだわりたいもの。自分の佇まいに添えて、豊かな生活を実現するために、無垢材を使った世界に一つだけの階段を取り入れてみてはいかがでしょうか。
Fuji

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